光福寺の歴史

平安時代初め(約1200年前)

弘法大師が唐から帰朝され、京都へ帰られる途中、下境の地に立ち寄られたと言われています。
その弘法大師伝説の名残として、大師堂や不鳴池(なかずがいけ)などがあります。

鎌倉時代初め(約800年前)

この地方(粥田荘)は北条政子所有の荘園でした。北条政子から任命された荘園領主がこの地(光福寺になる前)に住んでいたと言われています。その名残が本堂の裏にある土塁(外敵の侵入をふさぐための防護壁)に残っています。
荘園に集められたお米は、高野山に寄進されていたという記録が、高野山に残っています。それがご縁で荘園領主の館から、真言宗の寺院になっていきました。

室町時代後期(490年前)

光福寺が始まりました。

西暦事業住職名
1528年豊後(大分)より下境に来て、浄土真宗のみ教えを弘める。開基大友宗雲
1630年寺号許可3代浄雲
1720年御経堂建立7代泰峰
1804年鐘楼建立10代若川
1834年山門建立11代帯真
1873年本堂新築(現在の本堂)12代深定
1900年大師堂建立13代達玄
1936年石垣築造14代鐡洲
1992年本堂修復・門信徒会館新築16代宗文
2010年親鸞聖人750回大遠忌法要勤修17代顕立