弘法大師が唐から帰朝され、京都へ帰られる途中、下境の地に立ち寄られたと言われています。
その弘法大師伝説の名残として、大師堂や不鳴池(なかずがいけ)などがあります。
この地方(粥田荘)は北条政子所有の荘園でした。北条政子から任命された荘園領主がこの地(光福寺になる前)に住んでいたと言われています。その名残が本堂の裏にある土塁(外敵の侵入をふさぐための防護壁)に残っています。
荘園に集められたお米は、高野山に寄進されていたという記録が、高野山に残っています。それがご縁で荘園領主の館から、真言宗の寺院になっていきました。
光福寺が始まりました。
西暦 | 事業 | 代 | 住職名 |
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1528年 | 豊後(大分)より下境に来て、浄土真宗のみ教えを弘める。 | 開基 | 大友宗雲 |
1630年 | 寺号許可 | 3代 | 浄雲 |
1720年 | 御経堂建立 | 7代 | 泰峰 |
1804年 | 鐘楼建立 | 10代 | 若川 |
1834年 | 山門建立 | 11代 | 帯真 |
1873年 | 本堂新築(現在の本堂) | 12代 | 深定 |
1900年 | 大師堂建立 | 13代 | 達玄 |
1936年 | 石垣築造 | 14代 | 鐡洲 |
1992年 | 本堂修復・門信徒会館新築 | 16代 | 宗文 |
2010年 | 親鸞聖人750回大遠忌法要勤修 | 17代 | 顕立 |